父・俊彦が逝去しました。86歳でした
18日にお見舞いに行った時は、三食食べているので
月末には母のいる病院に帰れるという診断でした
・・・しかしそれから12時間後、父は逝きました
人の命は判らないものですね
電話があった時間は、朦朧としていて覚えていません
「福島さんの容体が急変したのですぐ来てくれ」と言う電話で起こされ
直ぐに佐賀記念病院に向かったのですが
臨終の場には立ち会えませんでした
9月19日午前4時50分が「その時」でした
その後は葬儀に向けた連絡や手配です
当初は、20日に通夜、21日に葬儀とも考えていたのですが
お彼岸と重なり、お寺の都合もあって
結局は19日の通夜、20日の葬儀となりました
20日は友引でしたが
浄土宗では、六暦にとらわれないということでした
しかし結果としては、休日二日間で全てを済ませられるということで
それはそれで良い選択だっと思っています
ただ、旅行を計画していた娘や従弟、叔父たちには
親父は少し意地悪でした
通夜に向けての時間との競争の合間にポカッと空く時間
関係各所への連絡や手配
一人っ子の私は、全てを自分で采配するしかなく
娘が到着した時は本当に助かりました
妻の負担を少しでもカバーしてくれるのがうれしかったです
また夕方には息子夫婦も来て
通夜の寝ずの番を私と一緒にしてくれました
その晩、親父と最後の酒を飲みました
棺桶には、勿論親父の亡骸が横たわっているのですが
遺影となった、6年前の写真が素晴らしく良い出来であったので
写真に向かって語りかけ、好きだった歌を歌い
親父と二人だけの時間をたっぷりと過ごすことが出来ました
納棺の時の末期の水も、親父か好きだった酒
その時に盃に入れていた酒を
会場の係りの方の配慮で親族みんなで飲ませました
86年の生涯とは言うものの最後の3年半は病院暮らし
決して、良い最後だったとは言えないと思います
胃ろうの処置までして、命をつなごうとした私の判断が
本当に父にとって、父のことを考えての判断だったのか
重い重い気持ちが残りました
「許す」と言う声は、とうとう一度も聞かれませんでした
きっと「許してはもらえない」ことだったのかもしれませんが
「母のために」と支えてくれた妻の言葉に助けられて
自分の判断を正当化しているのかもしれません
介護のカテゴリーで、父のことを書くのは
今日が最後だと思います
わがままで、頑固で、怒りっぽくて、融通がきかなくて
涙もろくて、人情家で、歌が好きで、山が好きで
時代劇と、西部劇がなによりも好きで
飲む酒は窓乃梅、魚は「猫マタギ」と言われるほどに大好きで
お洒落で、車の運転が好きで、好きだけど音程が間違っている歌
私はあなたの息子であったことが
時にはとても嫌で、辛くて、逃げ出したかった
最後には政治と言う同じ世界に身を投じ
そこでもまとわりつく貴方の影に嫉妬したこともあります
決して好きな奴ではなかった・・かもしれない
でも、貴方は目標であり、自慢でもありました
とうとう超えることのできなかった「山」でした
さようなら、親父