佐賀のために! Do! SAGA 佐賀市議会議員・福島龍一

 
龍一が語る
 

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闘病アーカイブ

禁酒宣言

まあ、大げさに考える事はないのですが
暫くの間、禁酒したいと思います

節酒という考え方もあるのですが
ここは思い切って、禁酒に踏み切ろうと決心しました
理由については、非常に個人的な問題なので書きませんが
多少は健康状態との兼ね合いもあります

議員になってから、自宅での晩酌はしないようにしていました
どうしてもお付き合いで外食、宴席というケースが多く
休肝日が必要ということからでしたが

昨年暮れに父が倒れ、母も追随した形で介護が始まり
その他、いろんな問題が続いたことで
ストレス解消的に晩酌をしてしまうケースが続きました
「止めなきゃ」という思いはありながらも、ついつい飲んでしまい
自己嫌悪に陥ることもしばしでした

そこで、あることをきっかけにして今回の禁酒になったというわけです
何もそこまで・・・と言われる方もいますが
ある種の願掛的な要素も含まれています

どうか、食事にはお誘いいただいても、お酒はすすめないで下さい

禁酒にまつわるエトセトラ

禁酒宣言をした昨日
合併した事もあり、議会構成が変わった事もあり
議会と執行部との懇親会がありました

これまでも、議会構成が変わる2年ごとに行なってきていましたが
何せ合併によって職員数も増えて、総勢240名程度でしょうか
とてもではないですが、皆様方全員とはお話できません

しかも、私は禁酒宣言をして烏龍茶で乾杯をしたこともあって
執行部の方がこられても、酒を飲まないのですから場が持ちません
そこそこの方々とお話をした割には、結構ゆっくりとしていて
食事も十分に取ることが出来ました

ただ、皆様方からは「福島が飲まないなんて天変地異だ!!」と
あきれ返るや、驚くやら、・・・私はそんなに飲み助ではありませんよ
そして今日も、アルコールの席に出ましたが
当然ですが飲みません・・・結構意志は固いのです

ところが不思議なもので、禁酒と同時に酒が集まってきます
今日はボジョレー・ヌーボーの解禁日
当然ですが2本私の家でも購入しました
また、プレゼントで日本酒を貰ったりとして冷蔵庫は満杯です

まもなく忘年会シリーズ
この禁酒の誓、何所まで続くか根競べです・・・きっと負けません
少なくとも明後日の同窓会を過ぎると、夜の予定はありませんので
そういった誘惑も無いと思います

何時まで

禁酒してから、明日で一ヶ月目を迎えます
本当に一滴のアルコールも口にしていません
・・最も料理やケーキに入っていれば別ですが・・

当初の目標は概ね今月いっぱいですが
3月までは頑張れという方もいますし
もう良いのではないかと言う方もいます
最終的には妻と話して決めたいと思っています

ただ、今回の禁酒をして思った事は
時々は、休肝日とかいった間隔ではなく
今回のように思いっきり間を空けることが
身体には良いようです

いびきもかかなくなったらしく
朝起きるときのさわやか感は飲酒していると
味わう事のできない寝起きです

今日も、ご常連の居酒屋に出かけましたが
烏龍茶で過ごしました
まだ、強い気持ちで「飲みたい」という感情がわきません
私の心の中では、取りあえず飲む日を決めていますが
それまでに飲酒の欲求が起き上がるか否かが問題です

妻と、私と、仲間との健康を祝して乾杯したいです

禁酒の訳

今日で40日間の禁酒状態が続いています
そして、明日・・・一応仮解禁の状態にする予定です
しかし、年明けのある時期から、再び禁酒する予定です
もっとも、仮解禁時にも、極力禁酒状態を続けます

さて、何故私が禁酒していたのか
それは、妻の病気が原因となっています
禁酒を始めた11月14日に病気が見つかり
12月4日入院、12月6日に手術
そして、12月23日に驚異の回復力で退院してきます

それなのに何故仮解禁かというと
年明けになると、再度の入院が予定されており
そこから再び大掛かりな治療が始まるからです

妻に見つかった病気とは、「癌」でした
大腸の下降結腸と言う部位に出来た癌が見つかったのが
11月14日、内視鏡による健診で見つかったものでした
それも第3ステージという崖っぷちの状況
勿論、既に肝臓への転移も見つかり、最悪の状況で治療に望みました

もしかしたら手遅れかもと言う状況での開腹手術
9時に手術室に入り、出てきたのは午後5時30分
「目視できる範囲での癌は全て取り去ったと思います」と言う言葉に
取敢えずは崖っぷちから立ち上がったと思いました

しかし、「目に見えない所に癌がある可能性はある」ということで
体力の回復を待って、抗がん剤による治療が年明けから始まります

今日、担当医師から話を聞きましたが
「100人中7~80名の医師は、手術しない状況でした」と
それほど悪い状況にいたと言う事です

しかし、今の妻の顔は、入院前に比べても良くなっています
無論大手術をしたので、多少はやつれていますが・・・・

次の禁酒は1月の中旬頃からか2月からか・・・
再度の入院の前日からと自分で決めています
抗がん剤治療が終了するまで続けます
特に妻が禁酒してくれと言ったわけではありませんが
妻と二人で、癌完治に向けて闘っていく決意として
自分が好きなお酒を断ちます

何故なのか

両親の介護や、妻の癌のことをあえて書いていますが
何故書くのか・・・そういった言葉をお持ちの方もいると思います
何故書くのか・・・書かねばならないと感じたからです

このブログだけではなく、ペーパーによる「ふくしま通信」にも
両親の介護については、赤裸々に書いています
書いた事で「大変だね」と言った言葉も掛けていただきますが
それよりも「今度相談に乗ってくれませんか」と言った
これから介護を迎える可能性のある方からの言葉のほうが多いのです

実際にその場に立って経験をしたことを書き綴る事で
誰かの、何かの参考になればと思って書いています

妻の病気についてもそうです
「癌」と言えば、不治の病と恐れられた難病でしたが
今は、「確実に死ぬ」とは限らない、大病になってきました

妻と二人三脚で、子ども達の篤い思いを感じながら
家族が一つになって、前向きに考えていく事が
病気に勝つ(必ずしも完治を意味しません)大切な事
そういった気持ちが伝わっていければと思っています

それと、もう一つには「何で奥さんは来ないの」と言った
質問とも、何とも着かない言葉を頂きますので
何故妻が来れないかといった事について
ご理解を頂くためにも、病気のことを公表しました

そう言う事ですので、介護や看病と言ったことで
私の経験がお役に立てればいいなあ・・と思っています
来年には、実際にどういうところで困ったか
解決策はあるかと言ったことについて
折を見て書き綴って行きたいと思います

暖かな一日

朝からすこぶるよい天気でしたね
年末の行事をあれこれとこなしながらの一日でしたが
お昼に家に帰ると、妻が寝込んでいます
40度誓熱が出て、ダウンしていました

退院後、調子が良かったので無理したのかもしれません
兎に角、主治医に連絡を取って病院に駆け込みました
血液検査、CTスキャンを撮り状況の確認を行ないましたが
これと言って、悪い所は見受けられずに
「明日、もう一度検査しましょう」とのことでした

熱は徐々に下がり始めて、微熱程度までは下がりましたが
流石に今日はきつそうです
何も出来ない自分が悔しいのですが
今夜は会合も入っていて、寝かせつけての出かけになると思います

明日には、子供達も帰ってきます
兎に角、家族が揃うと言う事は良い事です

御用納め

平成19年も残す所あと3日です
今日は御用納め、夜の街は仕事を終えた方々で賑わうのでしょうか
私も、残した仕事の整理に追われながら過ごしています

そんな中でも、妻の抗がん剤治療についての打合せが
主治医の先生と行なわれました
外科処置の退院が、予定よりも1週間以上早かったのと
処置後4週間たてば、抗がん剤治療が出来るということで
少しでも早いほうがよいという判断で
正月が終わると直ぐに治療にかかります

私の禁酒生活がまた始まります
もっとも、退院から再入院までの間で飲む可能性がないとは言えませんが
妻公認の会合のみに集約します
で、数えてみましたが、概ね二十日間のうちで三日だけ
気の置けない仲間達との会合だけに限って
少しだけ飲みたいな・・・と思っていますが???

しかし、癌を克服した仲間からの励ましは心強く
今日帰ってきた娘や、明日帰る息子との
家族団欒の時間は、何よりも大切にして
妻がそういった家族が側にいることを感じてくれて
癌に勝ってほしいと思っています

皆が帰ってきた

8月以来、久しぶりに家族が揃いました

娘は、昨夜遅くに佐賀に帰り着いていましたが
息子が今日帰ってきて、本当に久しぶりの家族団らん・・・
と行きたいのですが、今夜と明日は消防夜警が入っていて
そうもままならない所でしょうか

一昨日から熱を出していた妻ですが
病院で血液検査などをしてもらった結果
ウイルス性による風邪という事になり、少しほっとしました
合併症や術後の不都合が懸念されていましたが
そうではなかったと判った事で気持ちも軽くなりました

今日は熱も出なかったようで、明日一日ゆっくりすると
元の生活に戻れると思います
兎に角体力を付けなければなりませんから
動く事は大切な事です

あて、明日は子ども達にも手伝ってもらって
お墓掃除と両親のお見舞いです
いよいよ年の瀬も押し迫りましたね

元気に来年を迎えましょう

不思議な流れが

今回の高木八幡神社の恵比寿祭には
本当に偶然が重なって小恵比寿を拝命する事になりました
先ず、大恵比寿が地域の都合で順番が変わりました
そして、小恵比寿を選定するときに、地域の市議会議員が
それを断った事から、私にお鉢が廻ってきました

たまたま、大恵比寿をされた大塚さんと知り合いだったと言う事で
今回のお祭をさせていただく事になりました

高木八幡神社に行って、おっ!と思ったのは
家紋が竜造寺八幡神社や我が福島家と同じ
十二日足という紋所だった事です
聞いてみると、高木八幡神社のほうが竜造寺八幡神社よりも古く
本家は高木八幡神社だということでした

また、境内の中には幾つかのお社があって
その中に、太郎坊神社と言うお社がありました
経歴を読んでみると、日本八大天狗の総領に当たる天狗が
祭られていて、霊験は病気平癒

どのような大病でも一生に一度だけは完治させてくれる神様として
祭られていると言う事でした
・・・今、私の妻がその一生に一度と思われる病気と闘っています
妻の病気の平癒にと、藁にもすがる思いでお参りをしてきました

今日、妻は抗がん剤投与のための入院をしました
明日、ピットと言う治療に使う器具を体内に埋め込む手術をします

取りあえず

三日間ほどアップをしていませんでした
いろいろと行事が続いてはいるのですが
書き込むタイミングを失ったりしたりしていました

所で、今日の午前中に妻が退院しました
15日から17日に掛けて抗がん剤の投与が始まったのですが
心配したような副作用も軽くて済みましたので
今日の退院となりました

これからは、定期的な検査を続けながら
後5回の抗がん剤投与が続きますが
ちょっと一安心です

ただ今日は、帰ってきたばかりと言う事も手伝ってか
ほとんど寝たきりでした
早く元気になってほしいものです

午後からは、実家の大掃除の続きです
明日も行なうのですが、兎に角今月中に終わらせねばなりませんので
頑張るしかありません

それにしても、何であんなにゴミが出るのでしょうか
ほとんど廃棄していますが「もったいない」とも言われます
しかし取って置いたとて、タンスの肥やし
火事にあったと思って、全てを廃棄していきます
明日で、一応のめどがつくと思います

第二回目の投与開始

妻の抗がん剤治療の第2回目が今日から開始されました
4種類の薬を投与するのですが
入院中は点滴で行ないますが、通院での投与ですので
少し異なった形で行なわれます

今日の午前中に病院に行って、血液検査を行い
白血球や血小板の減り具合を見てから、
投与できる状況かどうかを診断します
幸いに妻の数値は許容範囲内でしたので、投与が決定されました

薬の投与の仕方は
先ず、吐き気止め点滴が概ね30分ほどかかります
その後に最初の薬(アバスチン)が、概ね90分ほど
次に2種類の点滴(1-LV/L-OHP)が120分ほど
ここまでを病院で処方してもらいます

最後の点滴(5-FU)が46時間かかりますが
この部分は、風船のような容器に薬剤が入っていて
ゆっくりゆっくりと体内に投与される仕組みになっています
これが1回の行程です・・・これを6回繰り返す事になっています

今回は、今日から明後日の夕方までかかる計算です
間もなく病院での投与が終了すると思いますので
そろそろ迎えに行く準備をしなければなりません

これは新兵器か!

下の写真は、妻が抗がん剤治療に使っているボトルです
ボトルとしか表現できないのですが
この中に風船が入っていて、その中に抗がん剤が入っています
この風船がしぼんで行く力を借りて薬液が体内に入っていきます

IMG_4590.JPG

今回抗がん剤治療に使っている薬は4種類です
2週間おきに病院に行って白血球数を確認して、3000単位以上あれば
抗がん治療が開始されます

3種類の薬は病院で点滴の形で投入されます
この時間が概ね4~5時間です
そして、このボトルが装置されます、46時間が標準時間ですが
風船のしぼみ方で4~5時間の時差があるそうです

第4回目の治療は、3月5日の午前中から始まって
今日(7日)の午前10時に終わりました

なお、写真の横に移っているのはヤクルト400
友人から「抵抗力を高める効果がある」ということで勧められ
夫婦で飲んでいます

プラス思考で

昨年のいろいろな問題を知る方々から
両親や妻の状態について励ましや力づけられる言葉を頂きます
先日も散歩の途中で近所の方と立ち話をしていましたが
「あんたが明るかけん良かった!」と言っていただきました

その方も家族の問題で同じような苦労をされていたとかで
「前向きに考とっぎ、どかんでんなっさい」
「笑う角には福来るけん、プラス思考でいかんばよ」
ありがたい言葉です

両親については一進一退しながら徐々に認知が進みます
これは年齢から来るものもありますので
受け入れていくしかありません

妻のほうも、とりあえず抗がん剤治療は一段落して
来月には、肝臓に残っていたがん細胞を
ラジオ波で焼き切る治療を行なうために
もう一度入院しますが、これで物理的な治療はとりあえず終わります

妻は、抗がん剤で髪の毛が多少なりとも抜けてきていますので
「禿になるかも」と言った心配から開放されたのか
結構明るく振舞っています

再入院

抗がん剤治療を続けていた妻ですが
肝臓に転移して切除が出来なかったがん細胞を
ラジオ波で焼く施術を行なうために
明日、再入院する事になりました

一週間から十日ほどの入院という事ですが
ゴールデンウィークは病院の中で過ごす事になりそうです
2日には娘も帰ってくるのですが
今年は仕方ありません

今回の施術が終わると、物理的な治療はとりあえず終わります
この後、再び抗がん剤を投入するかどうかは
まだ決まっていません
なにせ、一連の県病院の騒動で、次ぎの主治医にも面会していないので
なんとも不安がよぎる所です

さて、昨日息子からヘッドフォンが送られてきました
大きいヘッドフォンは妻が家の中で音楽を聴くために
小さなヘッドフォンは私がウォークマンを聴くためにということで
彼の初任給でのプレゼントです
大切に使いたいと思います

気になる結果

午後3時30分頃から施術が始まりました
あえて施術と書いているのには意味があって
今回の処置は、病院の区分上は検査ということになっているからです
あくまでもエコーによる肝臓の検査であるという位置づけのようです

エコーで部位を見ながら、そこにちょっと大き目の注射針を刺して
そこの先端からラジオ波という熱源を幹部に発するという処置方法です

施術は30分ほどで終わりましたが
静脈に直接入れた麻酔薬のためになかなか目を覚ましません
ようやく目が覚めたのは午後6時頃だったと思います
しかしその後も半覚醒状態で食事も取れない状況が続きました

医師や看護士からの説明では経過は順調だという事でした
もっとも、明日の午後に再度エコーとCTを撮って
幹部の処置が上手く行っているかを確認しなければ
今回の施術が成功したとは言えないそうです

その結果がよければ、連休明けには退院できると思います

家族として

娘が帰って行きました
ゴールデンウィーク期間中を私と過ごしてくれ
妻にも祖父母にも気を使ってくれた
成長した娘の姿に、心の中では嬉しくも感謝していました

そんな娘には、どうしても甘くなる自分が居る事に
自分でも判っていながら、どうしようもなく
「まぁ、いいか」と納得してしまっています

そんな私の姿を見て、一時帰宅している妻が
「甘いね」と笑っていますが
子どもに対して資本を投下することは、無駄遣いではなく
何時か、彼らが大人になった時に意味があるものと信じています

それは、妻に対しても同じ事で
金銭面だけでなく、時間や移動など含めて
家族のために自分が出来る事を行なうことは
当然の事だと思っています

妻は明日また病院に戻って治療を受けます
前回の施術が上手く行かなかったので、仕方がありません
今回こそは成功するようにと祈っています

護らなければならないもの

毎朝の散歩はいろんな情報や会話の源になっています
歩くコースはその日で異なりますが
北は佐賀市役所、東は旧佐賀線跡、南は南部バイパス、西は護国神社
この範囲以内で概ね40~60分歩きます
北コースを歩く時は最後に唐人町で豆腐を買って帰ります

今日、散歩の途中でちょっと立ち話をしましたが
その方のお婆さんを昨日施設に入れたと言う話をされました
お母さんが介護をしていたそうですが
「顔も見たくない」と言われるほどに疲れてしまい
自分自身もほとほと疲れきってしまうと同時に
このままではお母さんも倒れてしまうと判断されての事です

施設に送り届けて、その帰り際に
「批判は自分が甘んじて受ける、これで良かったんだ」と
心の中で誓ったそうです

私の時もそうですが、今本当に護らなければならないものは何か
そこが判断の分かれ目になると思います
まずは自分自身、それから自分の家族(配偶者、子ども達)、それから親
自分が倒れたら、自分の家族が困ります

その事は、私が両親のことで奔走していた昨年の1~4月に
妻から言われました
多い時には日に3回、ほとんど毎日実家と父の病院通いでしたから
そして今、その妻が病気になり、今私が護るべきものは妻です

「心に一匹の鬼を住まわせなさい」その言葉でどれだけ助けられたか
介護に向かう方に、今、私はその言葉を送ります
あなた自身が倒れないように、あなたの家族が倒れないように
護るべきものが何か、それを考えることです

近々妻が再入院するために、義父は今日から一時的に知り合いの病院で
健康診断と養生に入ります
そして、10月からはケアハウスに入所する事が決まりました
これから始まる、妻の入退院の繰り返しに対応するためです

やっと

私の妻の癌が見つかってから、まもなく1年になります
大元は大腸(下降結腸)癌なのですが、転移が肝臓に広がっており
昨年の大手術以降も、抗がん剤の投与やラジオ波による治療が続いています
発見が遅かったことも要因の一つですが、なかなか完治できません

そして、今年の7月の定期審査のときに??だったのですが
8月の検査で、肝臓に3箇所再発が認められました
その時にすぐに入院手続きをしたのですが
その時点で40番目といわれ、概ね9月末の治療という話でした

ところがところが、今日になってやっと入院が出来るほどに
ベッドが空かずに、やきもきとした日々をすごしていました
この遅れが病巣に響かねば良いがと・・心を悩ませても
病院側の都合ということで、どうすることも出来ませんでした

ただ、妻の日常は健康なときとほとんど変わらず
知らない方が見たら「何処が病気なの」と言われそうです
これは、私が知っているほかの癌患者の方もそうで
治療中は大変ですが、それ以外のときは健康そうに見えます

今朝入院して、今検査が行われているということです
午後5時から治療に関する説明がありますので出かけます
治療が痛く、辛く、きついものでないことを祈ります

今夜からしばらくは独身生活です

がん治療

不治の病といわれていた「癌」が治る病気になりつつあります
妻のがん治療を横で見ていて、そう感じています
今、病室にはなんとがん患者が多いことか
そして皆さん、以外に元気で明るい方が多いのに驚きます

外科的にスパッと切る方法や
抗がん剤を投与して、がん細胞を死滅させようとする方法
内視鏡やエコーなどを使って局部を直接叩く方法など
それぞれに治療方法にも幾つかの方法があります

スッパと切ることが出来れば、もっとも確実にガンを取り除けるのでしょうが
私の妻のように発見が遅いと、転移していますので
いろいろな方法で治療をしていきます

源発部位の大腸については、部位が一箇所だったので
その部位とその前後、裏側を取り除きましたので再発はないようですが
転移した肝臓はそうも行きません
全体に広がって、数個の癌が見つかりました

最初の手術では、抉り取るようにして取り除いたのですが
どうしても取り除けない部分がありましたので
春先は抗がん剤を投与しましたが、ガンを消すことが出来ませんでした
身体のほうが、抗がん剤について行けなかったようです

抗がん剤は正常な細胞まで攻撃しますので
体力と白血球数との勝負になります

今行っている治療は、ラジオ波で幹部を高温にして
熱でがん細胞を焼き殺す方法を行っています
エコーで見ながら肝臓に大き目の針を刺して
その先からラジオ波を照射するもののようです

この様にいろんな治療を組み合わせてガンを殺していきます
その結果、ガンは怖い病気から治る病気になりつつあります
しかし、ガンが出てきた部位によっては
まだまだ、治療法が確定していないガンもあるので
多少の運不運が付きまとっているようです

一人暮らしも

一人暮らしも10日を過ぎてきました。
外食もそれなりに多いのですが、自炊もします
冷蔵庫の中は、二人分の食料が入っていたので
賞味期限と格闘しつつ、冷凍食品も消化しつつ台所にも立ちました

その結果、作ってもらっていた時よりもたくさん食べてしまいます
栄養素も偏りがちです
ありったけの野菜を消費してしまったあとは
どうしても野菜不足に陥りそうです

買い物に行けばいいのですが、私が作れる料理には限界があり
もう少し寒くなると、大根や白菜などが美味しくなり
私のレパートリーの範疇に入るのですが
秋の味覚はなかなかに・・・・

さらにさらに洗い物が出てくるので
手はガサガサに荒れまくっています
白魚とまでは言いませんが、それなりの手がひどくなっています
うむむむむ・・・妻は頑張っていたのですね

明後日、今回の治療を終えて退院してきます
また発病する可能性は確実にあるので
こういった入退院の繰り返しになるのでしょうね

結構寒い

昨夜遅くに佐賀に帰り着きましたが
佐賀もそれなりに寒く、東京といい勝負でした
週末の校区体育協会の旅行からの一連の移動続きで
身体も節々が痛んでおり、昨夜は爆睡でした

今朝は、まずは病院に行ってインフルエンザの注射をしました
毎年、予防のために必ず接種しています
妻と二人で出掛けましたが、今年はそこまで痛くなく
ついつい、お風呂でこすってしまい「しまった」と反省です

11月は、昨年妻の癌が見つかった月で、1年がたちます
11月14日に検診に行った妻が「癌が見つかった」と言って
帰って来たのを思い出します
本人が割とあっさりしていたので「初期かな」と思っていたのですが
清渓セミナーで東京にいる時に再検査があり
肝臓に転移しているのが判明しました

それから、1年です
先日妻と話した時に、妻は「1年持たない」と思ったということでした
「実際に自分の目で癌を見て来た時に、ダメと思った」ということです
しかし、その時に巡り合った医師のおかげで、今日があります

今でも、再発の危険性を常に抱きながら
定期検査を続け、見つかったら殺すといった作業が繰り返されます
終わることのない、癌との闘いです

そして、間もなく12月
忠臣蔵の討ち入りの日が、父が倒れた日ですが
今日の父は、どことなく私を判っていたのではないかと思いました

ブロック注射

先週末頃から、妻が帯状疱疹にかかってしまい
痛い痛いと唸っています
そんな時に出張があったので、悪かったなと思ったのですが
自分が委員長をしている委員会ですので代わることもできずにいましたが
あまりの痛さにブロック注射を打つことになりました

初めてのブロック注射は大変だったようですが
午後からは痛みが消えたのか顔色も良くなっていました
出来た場所が左まゆげの中なので、頭全体が痛かったそうです
明後日、もう一度検査に行くことになりました

家族は全員が帯状疱疹にかかっており
妻が最後の罹患者となりました、娘は2回かかっています
私も4年ほど前、夏の子ども会キャンプの後にかかってしまいました

ただ、養生の仕方には差異が出てきます
家事を担当する方は、どうしても家事全般を辞めることができませんが
家事を担当しない方は、仕事の折り合いがつけば
ゆっくりと休むことができます

静養することが帯状疱疹には必要なので
私が家に居る時には、出来るだけ負担をかけないようにと
心がけています・・あくまでも心がけています

再び禁酒の季節に

妻の抗がん剤治療が概ね決定しました
2回目の抗がん剤での治療ですが、今回は外科・内科連携で
その時々に、ラジオ派や放射線も交えての治療になるとのことです
早ければゴールデンウィーク前からということですが
明日、そういったことの打合せが行われることになりました

妻の場合は、どうしても発見時期が遅かったことで
完治ということにはならない状況にあります
また、転移があること、再発が起きることは
避けて通れない状況にあることは否定ができません

「切ってそれで終わりならば切るのですが」と医師からも言われ
今回は取りあえずは抗がん剤で様子を見るということになりました
以前の抗がん剤は、冬のインフルエンザが蔓延している中で行われ
白血球の低下にやきもきしていましたが
今回は季節が違うので、風邪を貰う確率が低いのが取り柄です

それでも、抗がん剤となると最低でも3ヶ月はかかります
その間に入院もあり得ますので、視察や旅行には行けない状況になりました
そして、完璧な禁酒になりえるかはなんとも言えませんが
来週から3回目の暫定禁酒状況になりそうなことは間違いありません

病気と上手に付き合いながら、命を永らえていく
その支えになれればと思っています

声援

いろんな形で、多くの方から「声援」を頂きます
いろんな場面で、それぞれの立場から、私を応援していただきます
時には励みになったり、時にはプレッシャーになることもありますが
その方の温かさをしっかりと受け取っています

今、一番多く声を掛けて頂いているのが妻のことです
「奥さん大丈夫ね」とまず異口同音に聞かれます
そして最後は、「あんたが倒れんごとせんば」と励まされます
本当にうれしいことです

ただ、同様の病気を体験した方の言葉は時にはつらく感じることがあります
それは、その方もまた生死をかけた治療をされてきたことにより
赤裸々な現実として言葉が響いてくるからです
その方が乗り越えられた来た厳しさが伝わってきます

また、同じく家族の病人を抱えた方の言葉は
「何もしてあげられない自分のつらさ」という共有の悩みがあり
手の届かないもどかしさを判って頂けるという分かち合いがあります

介護に関しては最近はあまり聞かれなくなりました
既に3年目に入っており、まさに先の見えない介護の現実を
多くの方が経験しているからだと思います
それでも時折「ご両親はどう?」と聞かれるとき、一抹の寂しさはぬぐえません

もちろん議員としての仕事に関しても、選挙についても
多くの方から励ましてもらっています
その励ましの声援が、大きな原動力となっていることは確かで
本当に「支えられているんだな」と実感します

支えられているだけではなく
私も誰かの支えにならなければと思っていますが
そう言った実感は自分ではわからないものですね

六月は

六月は、結婚記念日と妻の誕生日が接近して続きます
6日が結婚記念日で、今年で27年目になります
そして12日が誕生日で5*歳になりました
例年、プレゼントが大変なのですが今年はちょっと様子が異なりました

結婚記念日は退院していたときだったので食事を一緒にして
「今年は治療が終わってからきっちりとやり直そう」と約束
誕生日の昨日は入院中でしたので、これも先送りになりました
もっとも子ども達からはおめでとうのメッセージや
プレゼントが届いていたみたいですが・・・・

そうは言っても、何もないのも寂しく思いましたので
入院中に見ることのできる、ワンセグチューナー付きの
DVDテレビをプレゼントしました
今日、退院してきましたが、また22日には入院です

今回は抗がん剤治療を
一週間おきに入院させてもらって投与してもらっています
今週で第3回目の前半が終了しましたので
予定ではあと3回です・・・追加投与があるかもしれませんが

入院する時にはある程度元気を回復していますが
投与が終わった後の数日はかなりきつそうで
手助けができないのが、本当につらく感じますが
ガンに勝つための治療なので耐えていくしかありません

私も独身生活に慣れてきましたが
家に一人いる時に感じるのは、話し相手がいないことです
テレビや本では埋めることのできない時空間ですね

腫瘍マーカー

タイトルに使った「腫瘍マーカー」という言葉は
ほとんどの人は聞きなれない言葉ではないかと思います
それでも、なんとなく判るような言葉ですよね

電子辞書でこの言葉を引くと

正常な細胞や良性の疾患からは、生産されずに
(仮に生産されてもごく少量)
悪性腫瘍のみから特異的に生産される物質で
腫瘍診断に使用される物質の数値をさす

分泌される物質はガンの種類によって特異性があり
ガンの早期診断や臨床経過観察に用いられる

そういった検査の方法が腫瘍マーカーというものですが
妻の今期4回目の入院での検査で
その数値が前回の半分ほどまで下がっていることがわかりました
数値が下がったことが即回復ということにはなりませんが
少なくとも今回の抗がん剤には効果があるということではなかと
ちょっと喜んでいます

本来は限りなく0に近い数値なのでしょうから
それから比べると、まだまだなのかもしれませんが
この数値が減っているということは喜ばしいことです

薬の効能

「ターゲットとなる病気を治すために薬を投与するが
 薬に副作用はつきもの、どちらを取るかが投与の分岐点である」
「医学で言う薬は、民間療法で言われている物質を分析して
 効果のある成分だけを抽出して、その効果を大きくしたもの」

とは、薬剤師である友人が20年ほど前にわたくしに語った言葉です
その時私は結核性胸膜炎を発症して、緊急入院から4ヶ月
治療のために入院生活を余儀なくされていました
副作用として「難聴」や「カンジダ菌による体のカビ」が言われていました

お陰様で、難聴にもならずにすみましたが
身体はいたる所にカンジダが出てこの治療にも時間がかかりました

今、妻は抗がん剤の投与を続けていますが
3ヶ月を過ぎましたが、やはり身体には副作用が出ています
副作用を承知で続けなければならない治療は
横から見ていても辛いものがあります

副作用には対処療法が取られていますが
タイミングを間違うと大変な結果をもたらす副作用もあり
ガン治療の厳しさを肌身に感じています
もっとも、本当につらいのは妻ですが・・・

早期発見、早期治療、そして厳しい自己管理しかないようです
皆様方も、怖がらずにペット(福岡病院)でもいいでしょうし
どこかの病院できっちりと検査してもらいましょう

ただし、総合病院は自分の専門分野しか検査してくれませんから
治療中のあなたも、自分から進んでほかの診療科目へも
検査依頼をした方が良いです
妻の今回の転移の発見が遅れたのも、総合病院の弊害から来たものです

繰り返します、
総合病院は決して全部の診療科目が連携しているわけではありません
逆に、科目ごとに大きな壁があります
ご注意ください

7回目の入院

今日、妻は7回目の治療のために入院しました
朝8時過ぎに病院に行って、まず採血をして白血球数を確認します
白血球は3000単位が一つの目安ですが
他の成分との関係で、2800単位でも治療を受けたことがあります

朝一番に、病院に送って行ってその結果を待ちます
概ね10時過ぎに検査結果が出て、入院か否かが決まります
「入院」が決まると「おめでとう」メールとなります

「入院」がなぜ「おめでとう」なのかと言うと
抗がん剤治療を受けることができるからです
受けることができない時には、2週間飛びます
中には、一か月以上飛ぶ人もいます

前回の時には、白血球が戻りにくくて、飛んだり
薬の量が減ったりとして、抗がん剤の効果が100%出ませんでした
と、言うことで7回目の抗がん剤治療を明日から受けますが
副作用で髪の毛が相当量抜けてしまいましたので
ちょっと人前には出たくないくなるかもしれません

また、妻のガンは、幸いなことに肝臓も肺も表面にできているので
内科的処置としては「焼く」ことが可能なそうです
抗がん剤もある程度の効果を出しているようですし
ちょっと、光が見えてきました

ただ、人の死亡率は100%ですから
誰しも何時かは死を迎える時が来ます
私も貴方も、誰しも生あるものは死を迎えますが
自分自身で「生きてきた」と納得できるまで命を長らえたいものです

似合っている

抗がん剤の影響で、妻の髪の毛は風前のともしびです
一カ月ほど前から帽子をかぶっていましたが
今日、ついにカツラを新調することになりました
これから長い時間お世話になることを考えて選んできたようです

夕方に早速付けてもらいましたが
本当に軽く、メッシュになっていて頭のサイズに合わせてあり
素材も、化繊と人毛の混紡になっていますので
ほとんど違和感はありません

しかも白髪が全くありません
さらに髪の毛全体がふわっと軽い感じがして
若返った感じがして、私は「ぐ~」な感じでした

それでも、普段に家にいる時には帽子で過ごすようで
うまい具合に使い分けてもらって
精神的なゆとりが出来れば、病気にもプラスに働くと思います
終わりの見えない治療がこれからも続きます
せめて心の健康だけは維持してもらいたいものです

明日は、久しぶりに息子が帰ってきます
長い夏休みだということです
嫁は仕事で家に置いてくるようです
それもまた良いかと思います

後援会事務所の工事も仲間が助けてくれて終わりました
13日に事務所開きを行いますが
夜は細かい準備で事務所に詰めることが多くなると思います

県病医院の体制

妻は、今日、9回目の抗がん剤治療を受けるために
県病医院に入院しました
昨日は、これまでの治療の経緯を見るための
CT検査もあっていましたので、その結果も気にかかるところです

私は、妻を病院まで送った後に
法務局で今回の選挙にかかる供託金30万円を納入
その後、立候補届に必要な戸籍謄本を取りに
吉野ヶ里町東脊振支所まで行きました

通常ならこれくらいの時間で、入院できるか出来ないかの
返事メールが届くところですが
今日はいつもより1時間ほど遅くメールが来ましたので
検査の結果が悪かったのかと、とても気になりました

結論から言うと、ご安心ください
大きく回復に向かっているわけではありませんが
少なくともガンは止まっています
一部は小さくなっている所もあります

抗がん剤治療絵は、進行が止まっている間は
薬が効いていることになるそうですが
今いる、腫瘍内科での治療はそれなりの効果があると思いますが
本来の大腸ガンの外科、転移した肝臓の内科との連携は
ほとんど見えません

肝臓治療のために内科に引きとめられていたおかげで
肺への転移の発見が遅れたという苦い経験もありますので
県病院は立て直すことの議論よりも
患者に向かう姿勢の議論を深めてもらいたいものです

県病院の実態

以前にも書いたことがありますが
公立の総合病院の連携体制はどうなっているのでしょうか
佐賀県立病院好生館については不信感さえあります

大腸ガンが見つかり、すでに肝臓まで転移している状態で
かなり難しい手術を執刀して頂いた時までは
本当に感謝の一言でしたが
その後の病院内の連携の不十分さには疑問があります

妻のガンの原因は大腸ガンですので
これの所管は外科になっているそうです
しかし、肝臓に転移したことに関しては内科になって
抗がん剤投与は、腫瘍内科の管轄と言うことになるそうです

それらの各科目の主治医がしっかりと話し合いをして
一人の患者の治療に当たるという体制は
今の県病院には無いようです

それぞれの医師の思惑で治療が進められて
本人が希望しない限り、総合的な所見は求められない
そういった体制におあるのが県病院です
県知事が発動して病院改革として外科医師を全面的に改変した
あの行為は一体何を見ていたのいか・・・疑問です

今は腫瘍内科で治療を進めていますが
その医師の言うところ
「完治は無く、押さえているだけで、いつの日か薬が効かなくなる」
そうであれば外科的な処置と並行して治療するのが
総合病院の使命であると思うのですが、そういった体制はとられていません

お世話になっているという意識もありますが
公立病院の縄張り意識の中で泣いている患者がいるということ
その事を知事をはじめとして県職員は認識をして頂きたいと思います
患者とその家族は病院に命を預けています

命を預けた病院に信頼がなければ終わりです

副作用に立ち向かって、ガント闘っている妻の姿を見るにつけ
少しでも明るい明日、それを望みます
なにも出来ない自分に悔しさを感じながら
明日も選挙に向けた行動をしている私です

何時になったら

妻が抗がん剤治療を受けていることは
既に何度も書き込んでいますので、皆様方既にご存じのことと思います
医療の進歩は著しいものがあり、そのおかげで命をつないでいます

妻の姉も同じ病気で亡くなりましたが
今から見ると8年ほど前のことで、効果的な抗がん剤もなく
手術の技術も低かったことが義姉の命を奪いましたが
妻は、その命を2年以上つなぎとめています

しかし、ガンを完治できる抗がん剤は存在しない
そういった見解を持つ医師の方もいて
科学療法の限界がそこにあるのかなとも思います
これ以上進行させない・・それが抗がん剤治療だと・・・

しかし、今の妻を見ていると
ガンと闘っているというよりは副作用との戦いが厳しく
手助けをすることが出来ない自分が、本当に悔しく
何か、自分で出来ることがないか・・・何とも言えない状況です

特に口の中がどうしても荒れるので
同じ食事を採ることがほとんどありません
同じ食卓にいながら、別々のメニューを採ることの寂しさは
どうしようもないことと判りながらも辛いものがあります

何時になったら、妻と同じ食を楽しむことが出来るのでしょうか
その日が来ることを信じています

自分を生ききる

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「自分を生ききる」 (日本のがん治療と死生観)
中川恵一×養老孟司 小学館刊 1400円
の紹介です

中川恵一氏は東京大学医学部付属病院緩和ケア診療部長
増え続ける日本のがん患者、そのがん治療の在り方を
緩和ケアの目線で、日本の治療の在り方を問われています

この本の根底には、「人間の死亡率100%」
ひとはいつか必ず死ぬという、事実を認識するところにあります
不治の病ではなくなった「がん」
しかし、がんの死亡率は年々増加している

今では、国民の2人に1人ががんに罹り3人に1人が死亡して
5年後には3人に2人ががんに罹り2人に1人ががんで死亡する
と予測されている
そして諸外国と比べると日本はがん患者が増加している

そういった話から始まり、日本の医療現場の現実を浮き彫りにしていく
日本の医療は5年間生存率の向上に傾注しており
治療を施すことができない方々に対する
がん難民といわれる方に対してのケアができていない・・と進む

乳がんを30歳代で発症し、抗がん剤治療等による延命治療によって
延命できる期間とそこに払う代償・・治療費、副作用等・・とを比較し
延命治療を断り、自分の命と向き合って
余命の人生を、ある意味において充実したものにした女性の話など

人は何時か必ず死ぬ・・といった自明の理を認識しなおすことで
がんに立ち向かう気持ちも変わって来る

中川氏は「同じ死ぬならがんで死にたい」と結ばれる
交通事故や脳梗塞、くも膜下などで急死すると
身の回りの整理もつかないし、家族との別れもない
しかし、がんは急死することはなく、数カ月から数年間は生きている

しかも、その大半は普通に生活できるわけだから
残したくないものの破棄もできる・・と

そこまでの達観はできないにせよ、一理あるなと感じます

死というもの

尊厳死の取り扱いについては賛否両論
何がなんでも生命維持をしなければならないとするグループと
人の尊厳として、死を選択することの必要性を説くグループと
意見は大きく分かれてしまいます

また、今日の新聞にもありますが
呼吸補助機を外したとして医師が殺人罪に問われていますが
本人に意識があって、本人が尊厳死を選択できるのは
それこそがん患者くらいのもので
ほとんどの場合は、意識がない場合が多いと思います

そうなると家族が本人に代わって「死」の選択をするのですが
反対グループは「本人の意思」ではないということを理由にします
その理屈に立つと、尊厳死はほとんどありえない状況になり
家族と医師に選択の余地はないということになります

私の両親は、まだ生命維持に関する装置を付けることはないし
点滴に頼る食事状況でもないので、
まだそういった問題には直面しませんが
何時か、何処かでその判断を迫られる時が来ると思います

人の死亡率は100%です。死なない人はいないわけです

命を長らえても、人として生きていることの意味や
目的が存在しなくなったとき、
私は生命維持だけのための延命措置は受けたくはありません
自分の心臓と体力が尽きるときに自然に死を迎えたいと思います

将来、子供たちがそのことで迷わなくていいように
私の遺言として、無意味な延命措置を拒否する一文を残し
脳死段階での死の宣告を受け入れ、臓器の提供を
私の意思として書き残す予定です

医学の発達で、人は死なないという錯覚が起きていると
指摘している医学関係者もいます
ただ単に延命だけの医学から、人を活かす医学に移るべきとは
先般の中川医師も書の中で述べられていました

生まれた時から、人は死に向かって歩いている
真剣に死というものについて考えてみましょう

冷たい雨

天気が安定しない中、まさに冬景色です
落ち葉をぬらす小雨の中を散歩してきましたが
ユリ(黒柴犬)は、時折雨に向かって文句を言いながら
それでも食べたい草があると、しっかりと食べに行きます

明日からは、議会もいよいよ後半戦
月曜日と火曜日は、常任委員会で議案の審査と採決
水曜日に議会運営委員会が開かれて
最終日の議事日程が話し合われます

木曜日は、事務局の議事整理のため休会で
金曜日が本会議採決が行われて、11月議会は閉会します
先週は、特別委員会の設置についても話し合いが行われていますので
明日は9時に議会に行って、会派での話し合いも持たれます

所で今日は、病院めぐりとなりました
まずは、妻が入院している県立病院に出向き
今回から治療法が変わっているので、情況が気になっており
昨日も、今日も時間が取れる限り、顔を出すことにしています

概ね今週いっぱい入院して
副作用の確認と、薬の効き具合を確認します
抗がん剤もいくつかの種類があって、薬を変えながら
治療が続きます

午後からは、義父の施設に出向き
自宅に届けられた郵便物を届けました
そして、父の病院に回り、母の施設と回ってきましたが
父は意識がしっかりしているのかどうかさえも不明の状態でした

母は、今年の夏ごろから急速に太りだして
血圧も高めなので、心臓にかかる負担が心配です
まあ、そういうことで、今は一人住まいです

緩和ケア

緩和ケアというシステムはご存じのことと思います
ガンの終末治療という考え方もありますが
本来は、初期ガンであっても、診断を受けたことによる
心身に及ぼす影響を和らげるシステム全体をさしているようです

財団法人がん研究振興財団から出されている冊子によると
九州には福岡県にある九州がんセンターと
佐賀県立病院好生館に緩和ケア病棟(ホスピス)が設置されているようです

佐賀県立病院好生館に先日出かけて行き
父と妻の緩和ケア病棟への予約手続きの相談をしてきました
対応して頂いた方とは、ちょっとした偶然が重なっていて
その話は、また別に機会にしますが、友人とはいいものです

妻は現在も佐賀県立病院好生館で治療を受けていますので
主治医の先生から緩和ケア病棟に連絡を入れてもらいました
また、父は本人が面接に行くことができないので
家族診断ということで28日に私が代理で面接を受けます

ガンに関する全ての治療が終了・・・延命治療が終了して
痛みが体を蝕み始める時に
まさに終末の期間を、痛みを和らげ、心のケアをしていただき
心静かにその時を迎える・・日本ではまだまだ成熟していないシステムです

ガンにせよ、介護にせよ、自宅で看病介護できるには
人的なサポートや、施設的な完備が必要です
そして何よりも看病介護する方の時間や労働を考えると
しっかりとしたサポートシステムを構築して
「行く人」も「見送る人」にもやさしくあらねばと思います

何時かは、緩和ケアにお世話になることと思います

どうする

昨日の雪の影響が残ったままの今朝の街
散歩のときにいちばん困ったのは凍った道路
結構つるつると滑りまくり、転倒こそなかったものの
足の内側は、それなりに張っていました

それでも九州の雪は太陽に極端に弱く
お昼過ぎにはほとんど溶けて行きました
今日は妻の診察の日、一緒に付き合い病院に行きました
今の薬に代わってからは、まだ日が浅いので
来週まで内服薬と点滴を続けて、2週間後にCTを撮ります

現在進めている抗がん剤が効果がなければ
また違った薬を試すことになります
副作用さえなければ、そこまで気に病むこともないのですが
ガンと闘っているというより、副作用と闘う日々は
精神的にも辛いものがあります

それと並行して、緩和ケア(ホスピス)の入院手続きもしました
緩和ケアと聞くとイコール終末医療と言うことになりますが
必ずしもそういうことではなく、ガンの痛みや
精神的なケアも含めた医療と言うことです

今後は、源病である大腸がんは外科
転移先の肝臓や肺は内科で
そして抗がん剤治療は腫瘍内科で治療を続けながら
緩和ケアも同時に受診するということにしました

父は既に昨年末に緩和ケア病棟への入院の手続きをしました
今は順番待ちですが、春頃には転院するかもしれません

視察・・それから

27日から29日にかけて、会派での視察に行っていました
視察先は、今治市「総合都市交通体系調査」と
高知市「行政改革の取組について」の2項目
視察報告は、後日アップします

飛行機を使えばよかったのですが
往復共にJRを利用したために、時間もかかった上に
背中から腰にかけてがバリバリと悲鳴を上げています
体力的な限界が見えてきたのでしょうか

視察から帰った29日(昨日)は唐人町の新年会もあって
本当に休む間もなく動き回っていましたので
今日は、偶然にも行事がないので、のんびりしようと思っています

この視察の間に、妻のCT検査が入っていました
結果としては、ガン病巣に変化がないということなので
現在行っている抗がん剤治療を継続することになりました
ちょっとホッとしたところです

大腸がんによる抗がん剤治療は、ガン細胞を根絶するものではなく
ガン細胞の増殖を抑制するものであって
現状維持ということは、抗がん剤が効いていると判断されるもののようです
来週には3クール目の抗がん剤投与が始まります

これまでの抗がん剤と比べると、表面に出る副作用は少ないのですが
内面的な副作用はあって
副作用を改善する薬が、山のように出ています
ガンと闘っているというより、副作用との戦いの毎日です

友人の薬剤師が言っていましたが
「薬には必ず副作用がある、治療したい病気と
投薬による副作用を比較して、命にかかわる法を優先する」
理屈ではわかるのですが、現実を目の当たりにすると???

兎に角、妻の頑張りをサポートすることしかできない自分ですが
妻や私と同じ立場に立ってしまった方々に
私の体験が少しでもお役にたてればと思って
妻のとの日々をこれからも書き綴っていきたいと思います

抗がん剤って

ガンの治療は、外科的な処置が出来ればそれに越したことはありません
病巣を切り取るのですから、転移さえなければ完了です
私の友人にも、40歳で胃がんが見つかり即手術
今は、暴飲暴食喫煙不規則生活で手術から17年です

まあ、こういった例はまれでしょうが
悪性リンパ腫から生還した友人もいて
こちらは抗がん剤での治療です
施術から、そろそろ5年になるのではないかと思います
すっかり元気で、毎日を送っています

振返って、私の妻の場合は
なんといっても発見が遅かったことが何と言ってもマイナスです
それでも、既に肝臓まで転移していた大腸がんでしたが
手術と、顕微鏡サイズのガンに対して抗がん剤を使いました
半年くらいは健康な状態でした

その後肝臓での再発(転移ではないとのこと)がみつかり
この時はラジオ波で焼くと言う治療をしました
この時に転移に関する検査をしていなかったことが悔やまれますが
県病院では、そういった総合的な検査治療のプログラムは
組まれていません・・・自分から申請しなければなりません

その後、2回目の抗がん剤治療が始まるのですが
大腸がんに関して言えば、完治させる事のできる
抗がん剤はまだ製造されていないということです
多くのガンがそういう状態なのかどうかは判りません

ただ、既に顕微鏡サイズのガン細胞が発生していると疑われる場合は
外科的な処置は行われないという事だそうです

抗ガン剤を使うと、ガン細胞をたたくと同時に
健康な細胞までたたきますので
副作用が必ず出てきます(個人差はありますが)
副作用で苦しむ妻を見ているのが一番つらいことです

今行っている抗がん剤治療も今週いっぱいで終わります
取りあえずはしばらく治療を休止して
副作用で傷んだ体を元通りにすることになりました

3月には長男の結婚式もありますので
夫婦で東京まで出かけなければなりませんから
兎に角、元気な体に戻ってもらいたいと願っています
ガンが消えている訳ではありませんが・・・

一つの結論

妻の闘病記の1ページになるかもしれない昨日
抗がん剤治療が取敢えずは終わります

今、4人の医者に病気を観てもらっています
病気の源科である外科、中間で治療をした内科
抗がん剤で今もお世話になっている腫瘍内科
そして間もなくお世話になると思える緩和ケア

それぞれの医師の妻のガンに対する答えが異なります

外科医は、抗がん剤の効果に疑問があるようで
副作用の厳しさとの比較で
ガンそのもよりも副作用でかえって身体にダメージが来ると
抗がん剤治療に、どこか否定的

内科医は、ラジオ波で病巣を焼くことは可能
しかし、焼くことによって出てくる負担や危険性
身体に針を刺して、ガンそのものを熱処理するわけですから
100%の安全が確保されている訳ではないので
患者が望めば・・・

腫瘍内科は、それらの意見をもとに取敢えず治療を休止して
体力の回復を図ってみようという段階
大腸ガンの抗がん剤は、アバスチンとアービタックス
この二つが主流で、妻はその二つとも終わった状態です

ただ、これまでの状況から急速にガン細胞が
増殖する様なことは考えられにくいので
定期的な観察を続け、ガンが活性化してきたら
その時に放射線なり免疫療法なりの治療法を考える
t、そのような状況にあります

いずれにせよ、妻はしばらくの間、治療を中止します
そのことで、身体にある副作用は軽減していき
ひと月後くらいには味覚も戻ってくるものと思います
丁度、息子の結婚式頃には・・・

新たな挑戦

昨日は、また一つ節目になる日になりました。

抗がん剤治療が、昨日はっきりとした形で終わりました
これまでの流れで行くと、昨日から第4クールの治療があり
その始まりとしての点滴(3~4時間ほど)があって
2週間の投薬があり、最後にもう一度点滴で2週間休み

この治療を3回続けたのですが
以前の違う抗がん剤の副作用の残留と
新しい抗がん剤の副作用の進行が伴って
第3クールから妻の弱り具合は、見ていて辛いものがありました

また、本来の主治医である外科の医師からも
「抗がん剤を止めるのも選択肢の一つです」とのアドバイスがあり
私自身も、抗がん剤の効果に疑問がありましたので
妻とも相談の上、今日から抗がん剤の投与を止める事にしました

この上は、早く舌の感覚、味覚が戻ってくれて
食べたい物を食べて、行きたいところに行けるような
元気な身体(表現としてはおかしいですが)になって
自分の人生をしっかりと踏みしめてもらいたいと思います

2週間後には、東京で息子の結婚式を
両家の親族のみで行います
まずは、その場に一緒に出かけることが目標です

気分が変われば、ガンさえも克服することが出来る
身近な目標を持ちながら、前向きに生きる
奇跡とまでは行かなくても、何かが起きる可能性はある
そして、笑顔だけは絶やさないようにしていきたいと思います

食事

抗がん剤治療を休止してから
妻の状態が徐々に良くなってきています
副作用から解放されていているのでしょう
帽子でもかぶっていると、顔色も良くなってきていて
治ったのかな・・と思えるくらいの回復です

ただ、舌に出た味覚障害はまだ回復していませんので
食事には戸惑いがあるようです
ヨーグルトは判るが、未だにカレーは判らないとか
早くても10日以上はかかるそうです
まだ一週間経過していませんので、そろそろかな

それでも少しづつ元気が出てきたのか
昨日から夕食を作ってくれています
やはり私が自分で作るのよりは品数も味も格段の差があります

妻の料理は格別に美味しいのでつい食べ過ぎます
体重が微増しだしたので要注意の時期なのですが
せっかくの妻の料理、おそらく半年ぶりだと思いますので
ついつい食べ過ぎて困っています

早く妻に味覚が戻ってくれることを望んでいます
4月には戻っていると思いますので
好きなお店めぐりをしたいと思っています

これは妻と二人だけの楽しみです

セカンドオピニオン

病院のシステムに、セカンドオピニオンがあります
「第2の意見」と言う意味ですが
よりよい治療法を見出すために
主治医以外の医者から意見を聞くことです

治療の可能性があれば、全て受けさせてあげたいと思っています
特に、その治療方法を妻が希望すればですが
抗がん剤治療であれば、おそらく現在のままでは拒否すると思います

どうしても副作用が強く、がんと闘うよりは
副作用と闘うことになるからです
もっとも、副作用の少ない新薬が登場すれば
話は変わるかもしれませんが
今、妻に効果が期待できる抗がん剤は見いだせないのが現実です

今回思い立ったのは、放射線治療です
先日新聞で報道されていた、新しい形での放射線治療が
4月から熊本の病院で始まるということでした

今日県病院に診察に行ったときに、その話をしたようですが
外科の医師と、腫瘍内科の医師では考え方が違うようで
外科医は「やってみる価値がある」と言い
腫瘍内科は「データが無いので効果が判らない」と

前向きの外科と、二の足を踏む腫瘍内科

以前からの課題である、総合病院として
医局同士で話し合って、患者に最良の医療を提供すると言った
患者に向いた治療がどこまで行われているのか疑問がわく時があります
どこの総合病院でも似たり寄ったりだそうです

ただ、治療に可能性がある以上は、やはり行ってみたいし
せめて診察だけでも受けてみたいと思います

命はつなぐものだから
自らがあきらめて、切ってしまわないように
後悔だけはしたくないから
小さな可能性にも光を見出したいと思います

結婚式で

昨日は、息子の結婚式でした
既に昨年の6月に入籍は済ませていましたが
せめて花嫁衣裳だけでもと・・話していましたら
「東京で身内だけで・・」と言う話になりました

抗がん剤で味覚が無くなっていた妻の治療のタイミングや
私の仕事に都合などもありましたが
昨年の暮のうちに、この日を設定してくれました

妻が抗がん剤を止めたいきさつには
この結婚式に参加するという願いも込められていましたが
おかげ様で一緒に行くことが出来ました

昨日は、佐賀発06時50分の飛行機で東京へ
機内で近所の方にお会いしましたが
「良かった良かった、一緒に行けて良かった」と
我がことのように喜んでいただき、心が熱くなりました

結婚式は、ホテルモントレ銀座のチャペルで行い
身内と、嫁の友人だけのささやかな結婚式でした
その後の披露宴も、親族だけの食事会で
息子たちだけで設定した流れに、すべてを任せました

3時頃には全てが終わりましたが
その後妻は息子と娘を連れて銀ブラへ
私は嫁と嫁のお母さんと、妻の姪たちを連れてカラオケに
後から妻たちも合流しましたが、親族の絆を深めました

妻も久しぶりに子どもたちとの水入らずの時間を
楽しんでくれたと思います

夜は有楽町まで出て、両家だけで食事
一日中を一緒に過ごして、心も打ち解けて
話も弾み、楽しい時間を頂きました

まあ、そういう訳で私の親戚や友人
妻の友人関係とお会いすることができませんでしたが
そこは、今回のセッティングが息子夫婦なので
彼らの目線で準備させましたので、お許しください


今日は、朝6時過ぎに目が覚めましたが
昨夜遅くと言うか、早朝と言うのか
所によっては35mを超える突風が吹き荒れていて
飛行機も欠航が相次いでいました

朝食後に『とにかく羽田へ』と急ぎましたが
30分ほどの遅れで飛行機は飛ぶことが出来
2時30分頃には佐賀に帰ってきました

19日からドッグホテルに預けていた我が家の犬を受け取りましたが
初めての出来事だったこともあり
犬も興奮状態で、しばらくは大変でした
犬がいなければ明日まで東京でしたが・・・


今は妻の状態も良いので
私が留守番出来る時に、東京・京都にゆっくりと
自分の時間を作りに行って欲しいと思います

今は元気です

息子の結婚式に妻と一緒に行けた事を
このブログで書き込んだことで
多くの方から「良かったね」と言って頂いています
ありがとうございます

また、買い物にも出る事が出来るようにもなりましたし
犬の散歩にも行くことが出来るようにもなりましたので
「もう治ったのですか」と聞かれますが
ガンは確実に体内に残っています

来週の火曜日に県立病院に診察に行って
セカンドオピニオンのお願いをしようと思います
熊本にある放射線科の病院です

以前にも書きましたが、外科の先生は
セカンドオピニオンもありかな・・と前向きで
内科の先生も、希望するなら焼くことは可能だよと
こちらも前向きな話になるのですが

現在の主治医は腫瘍内科なのですが
ここは全てがデータを優先する先生で
抗がん剤治療以外の治療については消極的です

しかし、受ける事のできる診察は受けておきたいし
治る見込みのある治療は、受けさせてあげたいと思っています

活路

妻の病気に関しては、多くの方から心配を頂いています
「あれを飲んだら良いよ」、「どこの病院が良いよ」
サプリもあれば、民間療法的な植物類もあります
本当に嬉しい限りです

その中でビタミンCに関しての情報は以前からありました
私の知人の方が、薬が合わなくて苦しまれていた時に
ビタミンCを一緒に摂取したことで
薬による副作用等が無くなり、元気になられたことも
実際に見たりしました

また、風邪対策などでも効果があるということで
我が家では以前から摂取していたのですが
最近になって、高濃度ビタミンCの話を聞きました

口から摂取する場合は、ある一定量以上は流れ出ますが
点滴で高濃度のビタミンCを摂取すると
抵抗力や免疫力が強化され、身体が強くなるとのこと
ただ保険が適用されませんので、若干高くつきますが
試してみようと思っています

また、明日は県病院の診察日なのですが
セカンドオピニオンの申し出をしようと思っています
熊本の放射線治療の病院ですが
これまでと違う方法で治療をするそうです

春に向かって、良い方向へ変化があれば
嬉しいのですが・・・

放射線外科

今日の診察で、妻の肝臓にあるガンに
変化が見られるということで
急きょ今週金曜日にCTを撮ることになりました
もともとエコー診察の予定が入っていましたので
併せて、午前中に診察を受ける事となりました

肝臓に転移したガンは、2年ほど前には
ラジオ波で焼いた事もありますので
エコーを受信する内科の先生の判断を待ちたいと思います

また、セカンドオピニオンを希望していた
熊本放射線外科にも予約が取れましたので
来週に、妻を伴って診察を受けに行こうと思います
ただ、ガンの部位の関係で保健が適応されないとか

日本の場合は、保健治療に対してのハードルが高く
治る可能性のある病気も
医療費にお金がかかり過ぎて受けられないことも多く
助かる命が助からないことも多くあるようです

まあ、保健は無理としても
確定申告の対象にはなるのでしょうか
もし治療を受ける事になれば、一ケ月程の入院が必要かも
そうなると・・・ちょっと厳しい金額になるかも

命は何ものとも比較できないものだから
出来うる限りのことをしたいと思います

ただ、自分自身の事を言えば、治る可能性が低い時には
延命治療を断ろうと思っています
特に、長生きをして高齢になっていればなおさら
私にかける費用を節約し、
若い方の治療に当ててもらいたいと思っています

春の嵐

今日の風は強かったですね
我が家の木々の葉や椿の花が飛ばされています
街を行く自転車に乗った方も、髪も乱れ前屈み
まさに春の嵐、気温も低めでした

そんな嵐の中を、熊本放射線外科に行ってきました
初めての場所なのでカーナビに全てを任せました
以前なら、地図とにらめっこして、事前に調査し
準備万端で出かけた所でしたが・・・

確かに近くまで行くまでは良かったのですが
病院が少し奥まったところにあったために
最後で少し戸惑いましたが、無事に予約時間に
受付を済ませる事が出来ました

病院は思ったよりも小さく、田舎の方にありました
しかし、清潔感があり静かな病院でした
待合室は横に長く、その為にテレビも4台据えてありました

県病院からの紹介状と病巣の画像を収めたCDを預け
問診票にいろいろと記入をして待つこと1時間
診察を受けましたが、結果としては
これまで県病院で受けてた内容を確認するにとどまりました

ただ、放射線での治療が全く出来ないわけでは無く
治療の優先順位について、県病院ではなかった所見を聞きました
そう言った意味ではセカンドオピニオンは有効なシステムで
多くの先生の意見を聞くことで気持ちも変わります

一つには、県病院の場合は複数の診療科と医師が
其々の立場と考え方で意見を言われます
医師同士での検討は行われていない・・と言えますが
単科病院では一人の医師が総合的な意見を言ってくれます

そう言った意味で、良かったと思います

次は、県病院での再診察を行い
身体にあるガンをどのような形で食い止めるのか
対処的に治療が行えるのかを検討してもらいます

もともとが、既に第4ステージまで進行した状態で
肝臓まで転移があった所で見つかったガンなので
今現在生きている事さえが、ラッキーな状況ですが
せっかくここまで来たからには、出来るところまで行かねば・・

今後は漢方薬や免疫治療なども含め
症状を和らげながら、体力と抵抗力を維持していきます

今日の写真は、佐賀城歴史本丸資料館の桜です
後ろの石垣の上に、昔は天守閣がありました

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覚悟

今日、覚悟を決めました

あるがままに、なせるままに

同病ならでは・・

もう7年ほど前の事ですが
消防団の忘年会で2階から降りるときに
階段を踏み外して腰骨を折って入院した事があります
(昨年も階段から落下しましたが)

身体の向きを変えるだけで、痛みが電気のように
全身を走り回り、悶絶する痛みを感じていました
痛み止めも全く効かず・・・
主治医は「物理的な痛みには効きにくい」と言ってましたが
動く事が出来ないので、看護士さんに頼る毎日でした

そんな時に、ちょっと大雑把な看護師さんに当たり
とても痛い思いをした時に
「あなたには、こう言った痛みが判らないのですか」と
問いかけた所「判りません」と言う返事

つれないなーとは思ったものの
痛みと言うものは、経験したものでないと理解できない
そう言った簡単な事実を認識した所でした

先日、友人の所に所用で妻を伴って出かけました
その友人の奥様もガンと闘った経験があり
今は、元気に強く生きておられます
そして、私の妻の事をとても心配してくれています

同病者と家族と言う、同じ境遇にある者同士
同じ痛みや悩みや辛さを潜り抜けてきた経験を共有して
話の内容もダイレクトに話しても
その意味する所のものが理解できるという
まさに「戦友」のような気やすさで話が出来ました

経験しないと判らないものって、本当にたくさんあります
本や映画などでの疑似体験はあったとしても
やはり現実にある諸々の事は、特に痛みは
体験しないことには、相手を理解することは難しいのかな
と、思います

私と同じような境遇にいる人は多いと思います
両親の介護、それも両親が一緒に崩れて行くことの経験
家族の病気、不治の病に立ち向かっていくことなど
私の経験が、少しでもお役にたつのであれば
一緒に話をしてみませんか

定期検診と・・

今日は妻の定期検診の日でした

私が両親の介護や妻の闘病記を書き込むことには
賛否両論のご意見を頂いていますが
あえて書きこんでいます

ブログで公表していることで
同じような悩みや迷いを持っている方からのご相談を頂いたり
励まして頂いたりと
それなりの成果と効果を実感しています

また、このページを通して
両親の現状や、妻の状況を確認して頂いている
そういった方々へのメッセージという
側面をも含めての書き込みです

2月に抗がん剤治療を停止したことで
副作用からくる症状が緩和して
今の妻は、外見上はとても病人とは思えません

また、それ以来入院もしていませんし
家事や食事も普通にこなしています
しかし、ガンの病巣が消滅しているわけではありません
肝臓と肺には、根治できなかったがん細胞が残っています

今日の診察の結果は、「概ね良」と言ってよいと思います
ガン細胞が残っている以上、病気は徐々に進みます
ただ、問題はその進行スピードで
妻の進み具合は、医師の予測よりもかなりゆっくりと進んでいます

その間に、新しい治療薬が現れたりするかもしれません
何かの拍子に、進行が止まるかもしれません
そういった「良い方向」を期待しながら
毎日を笑顔で、明るく過ごしています

一昨日は28回目の結婚記念日で
子ども達からもお祝いや電話をもらいましたが
今週の土曜日は妻の誕生日です
土曜日も夫婦で食事会を計画しています

ドラッグ・ラグ

昨日の佐賀新聞の記事に
「未承認薬使用可能に」いう記事が載っていました
「これで、日本も医療先進国の仲間入りか」と期待したのですが
導入まで10年はかかるということ

ガンや難病で苦しんでいる人々は
「外国では承認されているのに何で日本では・・」と
常に疑問を持ち、承認を期待しています

同じ薬が日本で開発されれば、少しは早いのでしょうが
それでも新薬開発には長い時間と高額の予算を伴い
やはり諸外国に比べると、その承認スピードは
明らかに遅い感があります

10年後に(もしかしたら)導入されるシステムも
保険適用が認められるまでの約4年間ほどの期間を
選定された医療機関のみの自由診療というもの

ご存じと思いますが、新薬や特殊な薬は価格が高く
妻が使っていた抗がん剤も保険を適用して
一回の治療に使う分で8万円を超えていました
高額療養やアメリカンファミリーの保険があって
何とか治療は続けられましたが
自由診療では、保険がききませんから・・・・

人の命を救うことのできる可能性がある新薬を
もっと早く利用できるように
日本の医療制度の見直しを強く求めます

助かる命は助けてもらいたいです

ついでに、最近はやりのジェネリックですが
10年間という期間が本当に適正なのか、疑問です
先ほども言ったように、時間とお金をかけて開発された薬を
苦労せずに使って、安売りをする
ある薬剤師に聞いたら、「安全性に問題がある」とも言っていました

地方病院の医師不足も、医療制度改革で生まれたもの
日本の医療制度は、今どこかおかしい
人の命を守るという基本に立って、見直してほしいものです

定期検査

2月に抗がん剤の標準治療を済ませ
その後は4週間ごとの検査が続いています

これからガンに罹患して抗がん治療をする方に知識として
抗がん剤は、基本的には治す薬ではなく
現状を維持していく薬です
ただし、白血病やリンパ腫は別のようです

それぞれのガンで使用される薬は異なります
また、私の妻のように肝臓や肺に転移が見られても
源発である大腸がんの薬が最後まで使用されます
そして、その薬も標準治療薬と言うのがあり
大腸がんの場合は、アバスチンとアービタックスという薬です

標準薬というのは、その効果が検証されている薬で
それ以外の薬もあるのですが
効果や副作用についてのデータがない(少ない)薬で
料金も高かったりとして、医師もあまり勧めないようです

薬と言うのは、長期間続けていくと
ガンが薬に慣れてしまって、効果がなくなります
また、ガンの場合は身体本体をも痛めつけますので
人によっては、かえって副作用の方がつらいといえます

妻の場合は、二つの標準治療薬が終了したことで
本当に効果がある薬が見つからないということ
また、あまりにも副作用がきついので
そのことで体が参っていることもあったので
投薬を止めることにしました

その後、定期的に血液検査で状態を確認していますが
確かに数値は徐々に悪化していますが
医師によると、数値は個人特有の問題もあるので
一概に数値だけを信じてはいけない・・と

腫瘍マーカーは、毎月倍増して増えています
既に2000台に入っていますが
100で参ってしまう人もいれば
数万まで上がっても、何もない人もいるから

一番大事なのは、今、症状があるかないかで
今、元気なら数値に一喜一憂しなくてもよいからね・・と
大きく励ましてもらいました

妻は元気です

嬉しくもあり・・・

サザンオールスターズの桑田氏が食道ガンと言うことです
年に2回の健康診断をしているということで
早期発見で転移はないということですが、声帯に近いので心配です
が、今はガンは隠す病気ではなくなってきました

私が、妻のガンのことをブログで書き込んでいることに
(両親の介護についても)
賛否両論のご意見があっていることは聞き及んでおりますが
病気や介護状態をある意味公表することで
妻や両親を守ることにもつながっていることは確かです

また、公表して自分なりに医療の在り方についての意見を書いたことで
まったく別の方面からも応援の手がさしのべられて
そういった一つ一つが、妻に勇気となっていることと思います
本当にたくさんの方々からご心配を頂いています

今日も、ある方から「奥さん元気そうで良かったね」と言われ
「でも、直接声をかけるのははばかられたので・・・」と
お気づかいを頂きました

確かに、今の妻は外見的には、健康な状態の時と変わりません
また、買い物や犬の散歩にも出かけていますので
「治った」と思われている方も多いようです
あとは、髪の毛が復活すれば完璧なのですが

ただ、現実には治っている訳ではありませんので
「奥さんはどうですか」と尋ねられて返す言葉に詰まっているのが
今の現状です
お気づかいが嬉しくもあり、つらく感じる時もあります

今日も、夕食を作ってくれています
妻は料理が上手なので、出来るだけ自宅で食事をしようと思っています
そして、時には美味しいものを一緒に食べに行きたいと思っています
旅行に行けると、さらに楽しいのでしょうが

兎に角今は
命をながられていることを楽しみたいと思っています

検査の日

午前中は、病院三昧で始まりました
基本的には妻の定期検診の日だったのですが
それに加えて、私の物もらい等の治療が加わって
本当に午前中はつぶしてしまいました

9時にご近所の永浜眼科に行き、物もらいの治療です
化膿することもなく順調に回復に向かっているということで
飲み薬を経過観察として出して頂きました

妻を9時30分に県病院に送り届けたのですが
この時間の読みがあと後まで響きました、
夏休みということを忘れていました
何時もならすぐ終わる採血が30分遅れたそうです

その間に私は、友人の森川耳鼻咽喉科へ
一昨日より喉の奥が痛かったので見てもらいました
ファイバーも使ってもらって検査して、「荒れ」ということで
抗生物質と痛み止めを処方してもらいました

その後、県病院に行って、腫瘍内科の説明を受けましたが
「数値的には特段の変化はありません」と言うことでしたが
腫瘍マーカーは検査結果が出ていませんでした
その後に外科にかかるのですが、検査結果が出ていないということで
私は午後からの議会の関係もあってそこで離脱しました

後から聞いたら、それから1時間かかったそうです
結果は、思ったほどには数値が上がっていなくてほっとしました
抗がん剤を止めてから半年近い時間が過ぎましたが
妻のような良好な状態でいるのは、まれなケースらしいです

概ね、半年もしないで終焉を迎えるケースが多い中で
髪の毛は戻ってくる、元気な状態でいる
と言うことは、本当にありがたく嬉しいことです
もっとも体力はそれなりに低下していますが

もう暫くは、元気でいてくれそうです(奇跡が起きるかも)

がんばらない

長野県の諏訪中央病院の医師、鎌田實氏の著書
「がんばらない」を読んでいます
中身は、ガンで終末を迎えた方々の記録です
医師として氏が関わった方々の、死に様が切々と語られています

まだ、最後まで読み終えたわけではありませんが
ガンと闘う患者とその家族の様子を見ながら
家族の方々が感じられている辛さは手に取るように分かります
そして、自分が望まない「死」を受け容れるまでの心の葛藤
やはり、思わず知らず涙が出てきます

以前にも書いたかと思いますが
私は「頑張れ」という言葉を他人に向かっては言わないように心がけています
それは、その人がどれだけ頑張っていたのかということを
私は知らないし、頑張れという言葉の酷さを感じたからです

私も、妻の病気や両親の介護に関して、多くの方から
「頑張って」と励まして頂きます
そのこと自体はありがたいと思うのですが
「何を頑張ればいいのか」実は自分でもよくわかりません

まあ、スポーツや体力勝負の場合には、使う事があっても
病気や心の問題の時には、使いにくいものですね

そんな事を思っていたから、このタイトルが目に留まったのかもしれません
「がんばらない」
もう、これ以上は頑張らない、頑張らなくてもいいよ・・と
あるがままのスタイルで行きましょうか


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