ツイッターの方では、明治維新前後に活躍した
佐賀の七賢人について、少しだけ触れましたが
ちょっとした勘違いで記事を訂正したのですが
他の方から、また別の方々に発信された記事は訂正できませんでした
きっかけは、実家のお墓の掃除から始まりました
我が家の家のお墓の裏に、大木喬任卿一族のお墓があるので
その事をアップしたことが始まりでしたが
大木卿の経歴について、誤記があったということです
この、吉野ケ里町(旧東脊振村横田)の西往寺は
その他にも、特攻隊の少年飛行兵が
任地に向かう前に、最後の時間を過ごしたお寺と言うことでも
歴史的なお寺であります
さて、今日のタイトルは、そう言ったことと全く関係なく
今、妻がはまっている、我が家の犬のアップリケ造りを見ていて
これまでに私が飼ってきた犬のことが心をよぎったからです
最初の犬は「まる」
雑種犬で、父が鳥栖高等学校から持ち帰ってきた犬です
最初の犬と言うことで、思い入れもあったのでしょうが
祖父の家の番犬にするということで、短期間で手元を離れました
祖父の家(実家)に行くと、まだ小さかった私を乗せて歩いてくれました
短命だったと思います
次の犬はなぜそこにいたのか判りませんが
真黒な犬で「黒」
気弱な犬で、嬉しくても怖くてもおしっこを漏らすという犬でした
両親が、家が汚れるからと言って嫌っていました
1年をしないうちに、どこかに行ってしまいました
次は、スピッツの「リリー」小学校5年生でした
この犬は最後まで世話をしました
一度だけ子どもを産んだのですが、それはもらって頂きました
この犬は6年ほどでジステンバーにかかって亡くなりました
その直後に我が家に舞い込んできた犬は
日本犬種・・おそらく柴犬か、もしくはその雑種
鼻が黒いので(当たり前ですが)「鼻黒」という名でした
母がとても気に入っていました
大学時代に、何の予定もなく実家に帰ったことがあるのですが
「呼ばれた」のでした
亡くなる前に飼い主を読んだと、今でもそう思っています
母に聞くと、その前から体が弱って寝たきりだったのが
私がいた二日間だけ、とても元気になって
私が鹿児島についたと思える時間に亡くなったということでした
その後は、犬を飼える余裕もなく
子どもたちが幼稚園の頃に、前の犬「ふみ」を飼いました
赤柴犬で、12歳まで生きていましたが
「ふみ」も亡くなる日に家族を呼び寄せ、妻と娘に看取られました
その後に、妻が甲状腺を摘出するという病気をしましたが
まさに「ふみ」の命日に、南阿蘇の柴犬の里に行きました
数日前に大雪が降って、やっと通行止めが解除されたところでしたが
まだ、ところどころは雪が積もっていました
「柴犬の里に行けるなら、縁があった犬だから」と決め込んで行きました
途中、何度もスリップして「諦めようか」と言いながらも
不思議と行きつくことが出来ました
一面真っ白な雪景色の中でした
そこで出会ったのが、現在の「ユリ」です
おそらく、最後の犬になると思います
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