尊厳死の取り扱いについては賛否両論
何がなんでも生命維持をしなければならないとするグループと
人の尊厳として、死を選択することの必要性を説くグループと
意見は大きく分かれてしまいます
また、今日の新聞にもありますが
呼吸補助機を外したとして医師が殺人罪に問われていますが
本人に意識があって、本人が尊厳死を選択できるのは
それこそがん患者くらいのもので
ほとんどの場合は、意識がない場合が多いと思います
そうなると家族が本人に代わって「死」の選択をするのですが
反対グループは「本人の意思」ではないということを理由にします
その理屈に立つと、尊厳死はほとんどありえない状況になり
家族と医師に選択の余地はないということになります
私の両親は、まだ生命維持に関する装置を付けることはないし
点滴に頼る食事状況でもないので、
まだそういった問題には直面しませんが
何時か、何処かでその判断を迫られる時が来ると思います
人の死亡率は100%です。死なない人はいないわけです
命を長らえても、人として生きていることの意味や
目的が存在しなくなったとき、
私は生命維持だけのための延命措置は受けたくはありません
自分の心臓と体力が尽きるときに自然に死を迎えたいと思います
将来、子供たちがそのことで迷わなくていいように
私の遺言として、無意味な延命措置を拒否する一文を残し
脳死段階での死の宣告を受け入れ、臓器の提供を
私の意思として書き残す予定です
医学の発達で、人は死なないという錯覚が起きていると
指摘している医学関係者もいます
ただ単に延命だけの医学から、人を活かす医学に移るべきとは
先般の中川医師も書の中で述べられていました
生まれた時から、人は死に向かって歩いている
真剣に死というものについて考えてみましょう
