この命題は、宗教、哲学はもとより
科学、医学の世界においても、永遠の命題なのかもしれません
「人は死ぬために生きている」とは、何処かの誰かが言った言葉ですが
オギャーと生まれてたその日から「死」に向かって走り続ける事は
確かに間違いのないことです
科学や医学ではその生命のメカニズムを解明し
「長生き」=「生命維持」にその力を注ぎますが
宗教や哲学では、死のその瞬間まで「如何に生きるか」
と言ったことを問いかけてきます
私はこれまでも、このブログや以前のホームページのなかでも
出会いの必然性や、コスモ生命、時の意思
死後の世界も含めた精神世界の存在などを語って来ました
これは決して他力本願による運命論を論じているのではなく
潜在意識下における意思決定や、コスモ意識の中での必然性で
人の一生が左右されるという事を感じています
何度も書いていますが
手塚治虫氏の火の鳥や、司馬遼太郎氏の竜馬が行く、燃えよ剣などの
本の中にも、それに似た表現が隠されています
この永遠の命題こそが、時として自分が生きていくよりどころになっています
時(あるいは宇宙意識)は、その存在を必要としなくなった時に
あるいは、誰かにその存在を知らしめるために
惜しみなく命を奪っていく
現世にあることのしがらみや、死への恐れから私を解放して
生きていく事の意味や、必然性について考えさせてくれる
私の哲学であり宗教であることは、間違いのないところです

コメント (2)
大宇宙のリズムと我が生命の冥合(ミョウゴウ)こそが人が生きる目的のように思います。
おっしゃっている「宇宙意識」との合一かも知れません。
釈尊はこのことを50年かけて説いたのだと思います。
投稿者 : 愛読者 | 2007年12月04日 13:54
私は、宗教そのものには無知なので良く判りませんが
仏教には惹かれるものを感じます
そもそも仏陀が説いた源宗教に触れることが出来れば
もっと違った感覚で表現できるのではないかと思っています
投稿者 : 福島 | 2007年12月05日 17:47